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葛飾北斎

滋賀県立近代美術館で開催されている「葛飾北斎展」に行ってきました。

実家から車で15分程度の場所にあります。
「文化ゾーン」と呼ばれている場所で、お庭が広くて図書館もすぐ近くにあるので、学生時代はお弁当を持ってひなたぼっこによく来てました。

北斎やお弟子さんたちの版画や肉筆画など、たくさん展示されていました。

わたしが一番好きだったのは「富嶽三十六景 山下白雨」です。
黒富士、って呼ばれているやつ。
富士山が顔を出しているのは青空の下で、山頂のはるか下に雷が落ちている様子が描かれています。
「かーみなりさーまーをー、しーたにきくー」と歌いたくなるようなダイナミックさです。
見ているだけですかっとした爽快感があります。
今回、有名な「神奈川沖浪裏」、「凱風快晴」と三つ並んで展示されていました。

あと、袋+ネズミ+打ち出の小槌の三点セットでその場にはいない大黒様を表現した掛け軸も好きでした。
愛嬌もあるし、なんだかすごくおめでたくて、こんな掛け軸を飾っていたらイイコトあるかもなあと思いました。

北斎に限らず日本の昔の人の絵って(漠然とした表現ですみません)、画面の中全体にきちっきちにつまっている様子がなくて、どこかすこんと空間がある感じの絵があるなと感じるのですが、その空間が絵の中の世界をとっても広く見せているというか、その隙間から絵の中に入れそうな吸引力を感じるような気がします。
うーん、自分で書いてて支離滅裂な文章だ。
とりあえず、広いの。

この掛け軸に限らず、動物がいきいきしていて見ていて楽しかったのです。
「肉筆画帳」っていう10点くらいの作品がありました。
これが見られて本当に良かった!
何かと何かの組み合わせで絵が描かれています。
雀とはさみだったり。(舌切り雀??) 鮭の切り身とねずみだったり。
わたしは北斎のことを全然知らなかったので、「版画!」と思って行ったのですが、筆で描かれた絵も生き生きしていてとってもよかったです。

久々に行った美術館。意外と心にすとんと入ってきました。
よかったです。

# by kae_hon | 2008-09-28 21:27 | 日記

突然エクササイズ

部屋の掃除をしていたら、母から電話がかかってきた。
「ちょっとウチに遊びにこーへん?」
どうやら、新しい電化製品を購入したらしい。
そしてそれは、ゆくゆくはわたしにあげてもいいなと思っているものらしい。
「何?」って聞いてもちっとも教えてくれないので、用事を済ませて実家に帰ってみた。

実家に帰ったわたしを待ち受けていたのは、某乗馬フィットネス機器であった。
でかっ!

「なんじゃこれ。」と呆れるわたしに「えーやろ?」と得意げな両親。
正直、こういうのってどうも信用できないというか、効果があるのかよくわからんし、どうせ飽きっぽいんだから一週間くらいでやめちゃうんじゃないの?

膝を痛めている母が気軽に運動できるようにということで、購入したらしい。
まず、いかにして安値で購入したか、値下げ交渉や購入店選定のいきさつを聞かされる。

まあ、乗ってみろと言われて乗ってみた。
「ちゃう、あぶみには指の付け根をつけるんや!」
と早速指導。あぶみって・・・ホンマに馬きどりやね。
「最初は、そのたづなを持ってみろ」
手綱って・・・・あぶみって・・・・
「何が手綱やねん!こんなもん『ペダル』と『取手』でええやないか!」
開始1分で切れ始めるわたし。
でも、機械が動きだしてエクササイズブログラムのDVDが流れ出すとなんかノリノリになってきた。
15分のプログラムなんだけど先生の「笑顔でできてますか?」とか「次は三拍子で」なんて言葉に「はいっ!」とか「いえー」とか返事しながらやってると、ついついテンションがあがってきてしまう。単細胞だ。
でも、音楽が流れて、音楽に合わせて踊って(運動して)いると自然とテンションあがるのが人情ではなかろうか。

結局実家滞在中に5回ぐらい乗ってしまった。
しかも最後の方は「男のハードコアプログラム」を先生と同じスピード二段階upでのりのりで取り組んでしまいました。

使っていると、無機質な馬(っていうよりただのイス)がだんだんかわいくなってきた。
「名前つけたらどうかなあ?」と提案すると
「コータローにしよう」と父。
「ふるっ!」
「やっぱりハイセイコーじゃない?」と母。
「それもふるっ!」
「オグリキャップとかさあ、トウカイテイオーとかさあ、ディープインパクトとか・・・」
「サクラなんとかっていう馬がけっこういるやん。サクラにしよう」
でもさあ、馬にサクラってなんか縁起悪くない?今にも刺身になりそうでさ。

ちっとも筋肉痛にならないなーと思って帰ってきたものの、帰り道に自転車にまたがるときにぐっと脚をあげたら気づいた。脚の内側の筋肉、けっこう痛い!
脚の内側の筋肉って、どうも鍛えるのが難しいんですよね。スカートをはいていてもついつい膝が開いてしまうだらしない姿勢になりがちなわたしにはちょうど良いかも。
実家に帰った時は使わせてもらおうと思います。
でも、うちには要らんな。だって、我が家は狭いんですもの。

# by kae_hon | 2008-09-27 21:32 | 日記

写真が好きじゃないのは

わたしは写真が嫌いです。
この場合、風景写真とかではありません。
「自分が写っている写真」が嫌い。

まあ、そもそも自分の顔が好きではないと言うのがある。

写真が嫌だなとはっきりきっぱり意識したのは、高校の卒業アルバムで。
それまでは、特別好きじゃないという程度だった。

クラスの集合写真で、名簿の順番が最初の方だから前列に座って、でも座高が高いから後ろの人に気を使ってちょっとかがんでしまってました。カメラの向こうに太陽があって、カメラのレンズを見ると太陽を見つめる感じになりました。まぶしいのもあって目を細めていて、下から上に「ガンつける」感じの(ガンつけるって方言?睨みつけるって意味なんですが)写真になってました。
友人に電話で
「○○(わたしのあだ名)、なんであんな顔して写ってるの!?
 あれじゃ、アルバム見せて俺の友達って言えへんやんか!」
と言われてしまい、それから一切卒業アルバムを開けることができません。
でも高校の同学年生、500人近くがきっと持ってる・・・・。
(あ、友人の名誉のためにいうと「○○は普段はかわいいのに」というフォロー付きでの発言です)

大学に入ってからは、極力カメラから逃げてた。
でも団体行動をしたらやっぱり写真の被写体になることってあるもので。

先輩の卒業式に、出席した時のこと。
午前と午後の両方の式に出席するので、昼休みにはみんなで休憩してたところ、誰かが写真を撮っていました。
後日、部室で回覧された写真には、頭に手をやりながら振り向いている途中のわたしの写真があって、それはまるで踊っているような体勢になっていた。しかも、カメラを意識してないし、全く別方向を向いているが故に半眼になっていて、どうしょうもない嫌な目つきの相当ブサイクな写真になっていた。隣に写っていた友達も、多分話している途中で撮られたから中途半端に口を開けた写真だった。

例えば、下に向けていた視線を上に上げる。
それだけのことでも、途中の一瞬をカメラでとらえて写真にすると、嫌な目つきに写るって知ってる。
知ってるんだけど。

そのブサイク写真を次に見かけたのは、友人の家だった。友人が、口を開けて写っちゃった友達と一緒に下宿している家。
ご丁寧にフォトスタンドに入れてあった。
なんで、と思ったら
「この写真、○○○ちゃん(わたしのこと)がくる前に学科の男子(彼女の学科はわたしの学科と関係があって、たまに授業で一緒になるので顔だけは知っている人もいると思います。女子が少ない学部だから。)がうちにきて、みんな見て喜んでた」
今、なんて言った?
友人は笑って
「ちがうねんちがうねん、この写真見たらなんか元気になるから置いていただけで、別に見せようと思って見せた訳じゃないねん」
その日は、「嫌だな」という気持ちを表明するくらいで、はっきり抗議しなかったけど、でも今までとても強いトラウマになってる。
この人は、本人が嫌がっている写真を持ち帰って、麗々しく飾り立てた上、わたし本人も知らない他人と一緒に笑っていたのか??
・・・って内容の抗議はしなかった。
友人関係を壊してでもそうやって怒った方が良かったのかな?
帰り際まで不機嫌だったと思うけれど。
キャプテンは、自分の感情で仲間の和を乱しちゃいけないような気がしてた。

この事件以来、完全に写真が嫌いになりました。
でも多人数で会ったり旅行に行ったりすると、やっぱり集合写真を撮りたいのは人情だし、それを嫌がるとみんなに申し訳ないから、少しは写るようにしてるけど。

いまだに、自分の写真を手にした人がどこかで笑ってるような気がする。

何か事件があると、関係者の写真が新聞やネットに載ったりTVで流されたりする。
加害者の場合、その写真が特に人相の悪いものが選ばれているような気がする。
動画で撮っていて、その途中の(それこそ半眼になったような目つきの)一こまを取り出したものとか。
そうしたいのが人情だと思うし、センセーショナルな記事になるだろうし、そうしたい意図はわかるんだけど。
でも視線の上げ下げの一こまをとらえたような目つきの写真で、犯罪の動機までうんぬんされるのはちょっと気の毒だなと思う。
次の犯罪を防止するには、もっと別のアプローチから動機を探った方がいいのではないかな・・・って思ってる。
「自分ならこんなことしない!」ってただ責め立てる訳でもなくて。
自分に、自分の周囲に同じような事件の芽が見えちゃったときに、そのとき自分はどうするか。その芽に気づけるのか?どういうふうに対処するのか?

# by kae_hon | 2008-09-27 01:01 | きもち

アフタヌーンティー

今日は、明日の振替休日でお休みでした。
(火曜や木曜が休日の場合、手近な土日とくっつけて三連休にしてくれるんです。ウチの会社。)

平日のお休みってあんまりないし、ぶらぶらしてみよー!と思い出かけてきました。

お昼ご飯の時間をやり過ごして、行ってきました。FORTN○M & MASONまで。(ごめんなさい、伏せ字は検索よけです。)アフタヌーンティーのお時間に。

ばばん。

アフタヌーンティー_f0181030_19413090.jpg


ケーキは二種類選べちゃうし、サンドイッチの具はそれぞれちがうし、スコーンも二つ。紅茶はホットウォータージャグの分も入れたら五杯は飲めました。
お茶がとてもおいしかったです。
満足ー。

満足だったんだけど

# by kae_hon | 2008-09-22 19:35 | 日記

「診療室にきた赤ずきん」

学生時代、本筋じゃない恋愛沙汰で悩んでいた時がありました。
何が本筋じゃないかというと、既婚者の男性から告白されたのでした。もちろん、それでどうにかするはずもなく、だからって「不謹慎だ!」なんて抗議することもなく、特に事を荒立てることもなくやりすごしたものの、自分の中で整理するのが困難であるまま過ごしていたのです。
そんなとき友達が
「『この人』って人とつきあったら、そんなことどうでもよくなるよ。○○○ちゃん(わたしのこと)もいつかわかるから。だって、私はそうだもん。」
と言いました。
きっとわたしの幸せを祈っていってくれた言葉だとは思うけど、なんとなく上からモノを見たような言い分に聞こえて、喜ぶよりもちょっとカチンと来たのが正直なところでした。
「どーせわたしにはそう思えるような彼氏はいませんよっ!」
心の声を言葉にするなら、そんな感じ?

で、何年かした後、その友達を含む何人かで集まった時に「コイバナ」になって、どうもその友達は既婚者の友人とか婚約中の友人にしかアドバイスを求めないということに気づきました。まあ、求められなくてもかまわないけど、わたしは「わかってない」人だと思われていることに気づいて、何となくさみしいような気持ちがしました。
経験値足りない人間は相手にされないのかな?って思ったのも確か。
その友達と二人になったときに本の話題が出て
「体験談とか実用書なら参考になるけど、ただの小説じゃ参考にならない」
という発言を聞いたときに、今までわたしが感じていた違和感が形になった気がしました。

わたしは、逆だ。
実用書は苦手だけど、小説の方が好きだし参考になる気がしてる。
実用書といってもいろいろあって例えばレシピ本とか園芸大百科のようなものはOKだけど、「嫌な上司の攻略本」「部下がついてくる本」みたいなのは受け付けない感じがしてる。

わたしは、「○○しなさい。○○した方がいい。」という内容に反発を覚える子供なのかもしれない。えー、でもそんなのケースバイケースじゃない・・・なんて悪態をつきたくなるような。
「○○しなさい。○○した方がいい。」という言葉にならないよう、物語として形をとっているのが好きなのかもしれない。オブラートで包まれた苦い薬しか飲めないような。
わたしが子供だから(成熟していないという意味で)、実用書のよさがわかんないのかな。

まあ、その後わたしも大人になって、薦めていただいた本の中ですばらしいものがあったりして、実用書の中でも好きな本も出てきたのですが。

今日読んだ本で、ちょっと自分の中の違和感が解けたような気がしました。
「診療室にきた赤ずきん」という本です。
作者は精神科のお医者さんです。いろんな悩みを持った患者さんやそのご家族に対して、作者の先生はその人に応じた童話を読むように薦めます。
童話を読んだ患者さんは、童話の中から何かに「気づき」ます。
作者は、童話や昔話を〈面接の鏡〉として表現しています。自分ならではの気持ちを映し出すものとして。自分の中にある「本当の問題」を映し出すものとして。

わたしは、物語のこういうところが好きなんだ、って思いました。
読む人ごとに、現実の状況や考え方は違うけれど、でもそれぞれに何かが探し出せるところ。昔読んだ時と今読んだ時では感じ方が違ったりして、自分の考え方の変化に驚かされたり。現実には全く体験できないことでも自分の近くに引き寄せて、登場人物に心を添わせてみたり。そうして自分の心に残ったものは大切な財産になるはず。
物語を読む中でいろいろ考えて、そして手に入れたものは、もちろん作家さんのおかげだけど、自分で探し当てたものである気がするのです。

人それぞれいろいろ状況は違うし、究極を言い出すと「自分のことは自分にしかわからない」のかもしれないけれど、でもやっぱり相手を思って相手の気持ちを考えて力になれることはお互いにあると思います。
もちろん実体験のすばらしさは否定しないし、「○○しなさい」ってアドバイスだって大事だと思ってます。物語に限らず、普段の生活で日々学ぶものだとは思ってます。

なんか支離滅裂になっちゃったけど、自分を卑下しないで、わたしはわたしで頑張ろうって思えました。

# by kae_hon | 2008-09-22 18:52 | 日記